THE JANGO って?

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<JANGO HISTORY>
1989年 5月 後藤晃宏(G.V)七條義則(B)岡野太(D)の3人でブルースを基盤としたトリオロックバンドとして結成。89年5月、1stアルバム"CROSS WAYS"、91年6月2ndアルバム"IT'S NOT YOUR BUSINESS"リリース。(共にUKプロジェクト)ドラムが山下にメンバーチェンジ
1990年
1991年 6月
1992年 2月 新たな試みとしてラップの熊田晃典とホーン3名(郷間幹男、西村、山中)を迎え、ファンク色の加わったブラスロックへと変化してゆく。(熊田は後にボーカルとなる)92年2月、3rdアルバム"WOUND UP TIGHT"リリース。ドラムが小村和彦にメンバーチェンジ。92年9月、WEA Double Hitレーベルと契約、4thアルバム"POWER TOWER"リリース。西村が小松竜吉にメンバーチェンジ
1993年
1994年
1995年 山中が脱退、萩原隆加入。 FUN HOUSE レベルワンレコードに移籍
3月 5thアルバム"RIGHT TIME,RIGHT PLACE"リリース
4月 シングル"GIVE YOU THE BEST OF MY LOVE"リリース
10月 マキシシングル"TREASURE HUNTING WILD BOYS"リリース
1996年 小松竜吉脱退、川守田良修、築山昌広が新たにホーン隊に加入
現在のオリジナルメンバーとなる
FUN HOUSEリズムスウィートレーベルと契約、メジャーデビュー
10月 シングル"GIVE YOU"を再リリース
京都α-STATIONをはじめFM-OSAKA、FM802、FM石川、静岡K-MIX
等で大ヒットとなる。「平成教育委員会」エンディングテーマ、
「サークルK」クリスマスCMソングタイアップ。
11月 マキシシングル"GIVE YOU"リリース
6thアルバム"WHO'S FOOL,WHAT'S COOL!?"リリース
1997年 3月 シングル"KEY O' FUN"リリース
1998年 2月 活動休止、メンバーそれぞれの音楽活動に入る
1999年 活動休止期間
2000年
2001年
2002年 3月 京都ミューズホールにて4年ぶりの同窓会ライブ、300人を動員
5月 オリジナルメンバーでの完全復活を宣言
6月 オフィシャルホームページ"JANGO.Info"開設
7月 新作リリースに向けレコーディング開始
9月 オフィシャルファンクラブ"Pleasure Box"設立
スペシャルディナーショウ(イベント)を開催、先着100名様限定
のところ多数の応募があり、大盛況に終わる。名実ともに復活!
12月 復活第一弾ミニアルバム"THE BOYS ARE BACK IN TOWN"をリリース
2003年 1月 プロモーションCD "Jango.Info Vol.1"配布開始
2月 インストアライブ等、関西圏で本格的にライブ活動
4月 ベストアルバム発売決定、収録予定の新曲2曲をレコーディング
5月 公式ファンサイト"Pleasure Box"開設

7月

BMGファンハウスよりベスト盤"JUMPIN' JANGO FLASHをリリース
2004年 1月 前田大輔加入、バンド名をJANGOから"THE JANGO"へ改名
10月 両A面シングル"P.A.R.T.Y.O.N.!!/IS THIS LOVE? "をリリース
11月 奈良競輪のタイアップテーマ曲を制作、曲名を公募
2005年 3月 Pleasure Box と統合しJANGO.INFOサイトを大幅にリニューアル

[第一章] 第1期JANGO結成までのいきさつ(1988)

1986年、それまで活動を続けていた関西ヘビーメタルバンドの
"RAJAS"が解散、ギタリストとして在籍していた後藤は新たなバンドを
結成するためにメンバー探しを始める。当時、後藤が務めていた楽器店で
かなり危ないドラマー、岡野太と知り合い意気投合、早速新バンドの
構想を固める。この岡野太、ロン毛にベルボトムジーンズというものすごい
"レトロ"ロッカーで、そのドラムのプレイスタイルもそのまんま60's/70's
という徹底ぶり。ちょうどその頃、後藤はブルースの深みに共感し、
ロックというもののあり方について日々考えていた。そんなところから
この2人は自然にブルースとロック、そしてレトロでマニアックなバンドを
結成する事となる。2人が目指したのはもちろん"クリーム""BBA"あたりの
トリオバンドだった。次にべーシスト探しが始まった。まずは後藤とともに
RAJASの後期にメンバーだった七條に声をかけてみることに。
七條はRAJAS解散後すぐに新しいバンドを結成していたが、すぐにこの
バンドにも参加することを承諾。いよいよ新バンドがスタート。
次に肝心なバンド名、これは後藤が昔から大の西部劇ファンだったところ
から考案、とりわけこだわりのなかった2人はかるく承諾。もめる事なく
バンド名は"JANGO"に決定。ただし、西部劇マカロニウエスタンに登場する
ジャンゴの本当のスペルは"DJANGO"でアタマに"D"がつく。これは今後
バンド名として使用するにあたり、読みにくいだろうという事で現在の
スペルに変更された。構想から約2年、1988年遂にJANGOが始動。

[第二章] トリオ時代(1988〜1993)

結成してすぐにオリジナル楽曲を精力的に制作、ライブ活動もスタート。
ここで当時としてはまだその呼び名すらまだまだ浸透していなかった
"インディーズ"でのCDリリースに踏み切る事にする。古い事と同じくらい
新しいモノ好きの後藤の性格が浮き彫りに。結成1年目にしてすぐさま
レコーディングを開始、1989年ファーストアルバム"CROSS WAYS"
をリリース。やはり当時のインディーズは所詮インディーズ、セールス的
には不発に終わる。それでもめげずに翌年には無謀にもセカンドアルバム
"IT'S NOT YOUR BUSINESS"をリリース。ファーストよりもサウンドが
スッキリとした分、少しは話題となった。ところがこの若干のサウンドの
変化がJANGOにとって初めてのトラブルを生む事となる。元来マニアック
志向の強かったドラマーの岡野との間に微妙な意見の相違が起こり、
話し合いの結果岡野は脱退。急遽、以前からのバンド仲間であったドラマー
山下が加入、そのままライブ活動を継続。サウンドもよりロック色が強く
なり、ポップな面も覗かせるものへと変化していく。

[第三章] メンバー拡大、現在の母体確立。(1993〜1995)

メンバーチェンジを乗り越え、精力的なライブ活動が身を結び、着実に
認知度が上がりつつあった所で新たなるCDリリースの話が浮上。しかも
今回はライブアルバムという企画。ライブには定評があったからこその
企画としてチャレンジ。収録はやり直し無しの1発録りで大勢のお客さんと
共に大盛況の中決行された。この作品を創るにあたり、後藤が一つの提案を
出した。ライブの他にスタジオテイクの新曲も収録、しかもその曲は今まで
とは違うアプローチでホーンセクションを導入してみたい、と。そこで
人を介して京都で活動していた"ホーンシリンダーズ"に参加を依頼、この
アイデアが現実のものとなる。そして、この頃後藤はギタリストとして
音楽コンクールの審査員や、アドバイザーの仕事をしており、日々いろんな
バンドと接触していた。そんな中一人のボーカリストと知り合う。彼の名は
クマタアキノリ。ブラックミュージックを愛し、当時まだ誰もやって
いなかったラップをも軽くこなすそのスタイルに後藤はいたく感動、
アドバイスするどころか、連絡先を聞いて帰るほどの出会いであった。
早速、突入寸前のレコーディングに強引に参加を要請。クマタの参加も決定。
そして無事、ボーナストラック入りサードアルバム"WOUND UP TIGHT"は
リリースされた。当然、その後のライブにもホーンシリンダーズとクマタは
ゲスト参加するようになり、いつしかJANGOはその形態が普通、という
イメージになっていく。このホーンシリンダーズでトロンボーンを担当
していたのが、現在JANGOのシンボルとして活躍中の郷間である。
この形態でのJANGOのライブはかなり話題となり、いつしかライブ会場を
常に満杯にするほどになっていた。その結果、メジャーレコード会社からも
注目されることとなり、最終的にワーナーミュージックからリリースが決定。
順風満帆という所でまたもやトラブル発生、なんとドラマーの山下が東京へ。
再びドラマーを探す事となったが、ここで七條が共に活動していたドラマーの
小村を紹介。以前から後藤とも知り合いだったこともありすんなり意気投合、
そのまま即レコーディングへ突入する。こうして全編ホーンセクション入り、
そしてクマタのボーカルとラップをフィーチャーした通算4枚目のアルバム、
"POWER TOWER"をリリース。ここでいよいよ現在のJANGOの母体が完成。

[第4章] 第2期JANGO始動、スマッシュヒットまでの軌跡。(1995〜1997)

"POWER TOWER"リリース後は頻繁に東京方面でのライブを決行、当時は
ホーンセクション入りのバンドは非常に珍しく、すぐさま関東でも話題を
呼ぶ事になる。そんな流れに沿ってごく自然にホーンシリンダーズとクマタ
はサポートでは無くメンバーとして溶け込んでいった。この時点でJANGOは
7人編成のバンドとなる。同時にクマタアキノリが歌う新曲を精力的に制作、
デモテープ録音も開始。その中の1曲があの"GIVE YOU"だったのである。
この1曲が、後のJANGOの運命を大きく変える事になるとは誰も知らない。
デモテープの制作とは別で後藤の元に、あるレコードメーカーの制作マン
から新人アーティストの共同プロデュース、楽曲提供の話が舞い込み後藤は
並行してこの作業にも着手。実はこの時のプロデューサーが後にJANGOを
メジャーへとけん引、JANGOのオフィスまでつくってしまうというキーマン
となる。きっかけはJANGOのライブ、半ばつき合いで初JANGOを体験した
このプロデューサーはライブ終了後にすぐさまこう言った。"後藤さん、悪い
けど今やってるプロジェクトを中断して先にJANGOをやりましょう!!"
急遽このプロデューサーの元、JANGOはニューアルバムの制作に突入。
より本格的な活動に入るにあたり、ホーンセクションを強化する事となり
数々のセッションを重ねアルトサックスの萩原が加入。郷間はバリトン
サックスに転向、トロンボーンとトランペットはゲストプレイヤーを導入
して通算5作目のアルバム"RIGHT TIME , RIGHT PLACE"は完成された。
もちろんこのアルバムから"GIVE YOU"が各地のFMステーションを中心に
大ブレイク。インディーズにもかかわらずシングルカットもされ、チャート
を総なめ状態となる。この勢いに乗ってJANGOとしては初の4曲入りマキシ
シングル"TREASURE HUNTING WILD BOYS"をリリース。そしてスマッシュ
ヒットとなる。このヒットをきっかけにメジャーのファンハウスと契約、
遂にメジャーデビューを獲得。ここで長年ホーンシリンダーズの
中心人物として活躍していたテナーサックスの小松が方向性の違いにより
脱退、再びホーンセクションを組み直すというアクシデントが訪れるが、
すぐさま萩原の後輩でトロンボーンの川守田、トランペットの築山が加入。
ここで現在のラインアップが完成。"GIVE YOU"がメジャー盤で再リリース、
再び大ヒットを記録し、TVタイアップ、CMタイアップ、TV出演、全国
ツアーと超多忙を極める。

[第5章] メジャー活動の後、活動休止宣言。(1997〜1998)

"GIVE YOU"の後もシングル"KEY O' FUN"、メジャーフルアルバム
"WHO'S FOOL , WHAT'S COOL!?"をリリース。その後も順風満帆の予定だっ
たが、シングル"REACH ME"のリリース直前になってまたもやトラブル発生。
所属レーベルが母体の都合で解散となり、JANGOは突然の解雇となって
しまう。移籍先を探して奮起するも、いつしかメンバー間の志向が微妙に
くい違いを見せ始め、遂には次作品用に進められていたレコーディングも
中断、バンド自体の存続について話し合いをする事となる。
そこで全員が出した結論は"不定期の活動停止"。同時にこれは限り無く
"解散"に近い結論であった。メンバー達は改めてバンドの難しさ、メジャー
活動の代償の重さを痛感。各自、物足りなさ、やり残し感を感じつつも
それぞれの道へと歩み出す事となる。

[第6章] 第3期JANGO復活!(2002〜∞)

"休止宣言"から4年が流れた時、かねてから企画を練っていた後藤が遂に
動き出す。その企画とは、もちろんJANGOのライブ。あのままではどうにも
おさまらない思いをいつかカタチにしたいと考え続け、ずっとタイミングを
探していたアイデアだった。恐る恐るメンバー達に連絡を取ってみると、
なんと全員が二つ返事で軽く承諾、遂に久々のライブが現実のモノとなった。
初めは一夜限り、一回限り、という約束で集まった。ところがいざライブが
スタートすると、あの時と変わらないテンション、オーディエンスの声援が
あった。ライブ終了後、数日後に誰からともなく連絡を取り合い、自然に
未来の話をするミーティングが開かれた。結論はもちろん"再結成"しよう!
クリアしなければならないのは、細かな時間、物理的な事の調整だけで
あった。同時にオフィシャルサイト、ファンクラブも立ち上がり、今再び
JANGOを楽しもうと全員が集まった。出来る限りで精力的にライブ活動も
スタート。ホーンセクションには新メンバーの矢追が加入、ますますパワー
アップしたJANGOは早速、復活後のCD制作のリハーサル、制作を開始。
距離と時間と手間をかけたミニアルバム"THE BOYS ARE BACK IN TOWN"
をリリース。ここに収められた幻のシングル曲"REACH ME"が関西を中心に
大ヒット、復活に華を添える好セールスを記録。さらに新たなファンも
獲得する結果、状況はますますヒートアップ。このヒットが起爆剤となり
古巣であるBMGファンハウスから新曲2曲入りのベストアルバムをリリース。 この時期よりセッション・エキストラのメンバーとしてトロンボーンの前田が 頻繁に参加、メンバーとも意気投合し、もはや"お助け役"ではない存在感で ある意味自然にJANGOに加入。その陽気なキャラクターと卓越したテクニックはJANGOのホーンセクションを支えている。 同時に2004年よりバンド名を「THE JANGO」とプチ改名、歴史上最大の 10人組となった新生THE JANGOはますますの飛躍を目指しチャレンジを 続ける。          


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by ゲオルギウ・長いこと考え込んでいるものが,いつも最善のものを選ぶわけではない.
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